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善行を積んでも座禅をしても、何の功徳もありません!

頑張らない悟り方

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善行をしても功徳は無い

禅に「無功徳」という言葉があります。

意味はそのまんま。

功徳は無いということです。

 

禅宗の祖である達磨大師が、

インドから中国に渡ったときのこと。

達磨大師を招待した梁の皇帝は仏教に帰依し、

お坊さんを手厚く保護していました。

そして多くのお寺を建てていたそうです。

皇帝は、

「これだけ仏教のために尽くしている自分には、

どんな功徳があるだろうか?」

と達磨大師に尋ねました。

すると達磨大師はただ一言、

「無功徳」

そう言ったと伝えられています。

この言葉に禅の真髄、

差取りの真髄が含まれている気がします。


見返りを求める限り、差取りは得られない

何かの見返りを期待して善行をおこなうのは、

本当の善行ではない。

見返りとは、言わば下心であり、

それを前提にした行為は善行とは言えない。

そこに功徳はない!

という意味が、この無功徳には含まれています。

 

ですが、僕はさらに別の意味もあると思っています。

 差取り(悟り)を得るには、

善行も座禅も何も関係ない!

ということを示唆する言葉だとも思います。

差取りたい・・・その思いもエゴです。

言わば欲です。

 

ただ、あるがままに・・・

ではなぜ禅僧は座禅をするのでしょう。

行為と差取りは関係ないということに気がつくため、

座禅するその姿が、

「すなわち差取りである」と気がつくため、

にするのだと思います。

そう・・・差取りとは「得る」ものではなく、

ただいまに在る、ただあるがままの状態に気がつくこと。

何をしなくても、何かを得なくても、

満ち足りていることに気がつくことなのです。

 

●今日の言葉

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ

どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

一休宗純

 

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