日常に落とし込んでいきましょう!


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意外に好評だった昨日の記事。

何人かの方から、おもしろかったという連絡を頂いたので、

調子に乗って、今日も空手にまつわる話を書いちゃいます。

少しマニアックな話になるかもしれません。

ついてこれなかったら、ごめんなさい!

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僕が20代の半ばの頃の話です。

仕事はしてましたけど、空手中心の生活を送ってまして、

道場にばかり行ってました。

その頃は念願の黒帯を取って2年から3年、

まだ天狗になっていた時期です。

昨日の記事に書いた通り、基本稽古なんて準備運動だよ!

と思っていたのはこの頃のこと。

このときに、ある人と知り合いました。

空手の大先輩です。

その方が10数年ぶりに道場に復帰したんですね。

歳は当時で50代半ばを過ぎていました。

空手のキャリアは40年。

僕はその大先輩の動きを見て、ビックリしたんです。

それだけのキャリアだからといって、

達人のような動きをしたわけじゃないんですよ。

どちらかというと不器用な動きでした。

空手の技も進化していますから、

そうした動きとは全く違う、今風の空手からは程遠い、

古風だし不器用な動きだったんですね。

ただ、技に「気持ち」がこもっているのが、

見ているだけで伝わってきました。

もっとストレートな表現を使えば、殺気とでもいいましょうか、

この突き、この蹴り1発で倒してやる!

という気持ちが技を出すたびに伝わってきたんです。

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大先輩は多彩なコンビネーションなど使えません。

その代わり1つ1つの技に気持ちがこもっていました。

初めて人が出す技を見て、怖いと思いました。

きれいな技、うまい技じゃないんです。

怖い技なんです。

20代半ばで体力もあり、精神的にもイケイケ(死語)だった自分が、

「あっ、この人とケンカになったら絶対に勝てない」

とすぐに思ったんですよ。

自分よりはるかに年長で、体力的には劣る方に、

心底勝てないって思ったんです。

技の質が根本的に違うし、

気持ちが、覚悟が違うことを実感しましたね。

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当時の僕といえば、まさに今風の空手の動きをしていまして、

またマニアックな表現になりますけど、

ワンツーとパンチを出したら、右ローキックをフェイクに使って、

右サイドステップし死角からの左ハイキックといった

動きをしていたわけです。

そうすると、後輩たちは、

先輩すごいっす!

かっこいいっす!

と言ってくれるから、また調子に乗るわけで(笑)

で、僕は、その大先輩の動きを見て、

自分の空手に対する考え方が、

根底から覆されたというか、反省させられました。

俺は何のために空手をやってきたんだろうって。

こんな曲芸のような動きをやるために空手始めたのか?

試合で勝つためか?

道場で後輩にヒューヒュー言われるためか?

そうじゃないだろ、実戦で強くなりたいから

空手を始めたんだろうと、初心を思い出させられました。

それからです。

基本稽古を大事にするようになったのは。

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空手の稽古って、大勢で号令をかけながらやります。

黒帯でも道場に行けば白帯と一緒に基本稽古から始めます。

それまでは惰性でやってました。

黒帯だから一応下の者の手前もあり、基本稽古は出るけども、

正直かったるいなーと思っていたんです。

そんな僕が全然違う意識で基本稽古をするようになったんです。

たとえば、正拳突きを10回するとなったとき、

僕は相手をしっかりイメージして11回突くようにしました。

1回でも多くやろうと思いましたので。

また「ただ突く」というよりも、

拳を「刺す」イメージで突きの稽古をしたんですね。

すると、何度も何度も反復していくうちに、

突きの質が変わってきたんですよね。

鋭くなっていくんです。

それまでは、準備運動だと思っていた基本稽古が、

「意識する」ことで、全く違う意味を持ち始めました。

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話を大先輩に戻しますと、その方、ある団体の役員なんですね。

名を聞けば、知ってる人はけっこういると思います。

でもね、偉ぶったところが少しもないんです。

空手なんて今でも封建主義的な世界ですけども、

先輩風を吹かすこともない。

僕らのような後輩とお酒を飲むのが大好きで、

いつもニコニコして話を聞いてくれます。

基本的に飲む時は聞き役です。

そして席はいつも端っこ。

で、気が付くといつもその先輩が勘定を済ませていてくれました。

そうした謙虚さ、たたずまいに、僕は、

「武道家ってこういう人のことを言うのだろうな」

と思ったんです。

黒帯を取ったから武道家じゃない。

ましてや自分から「武道家です」と言うものじゃない。

空手の動きもそうですけども、生き方も含めて、

「武道」を生活の中に落とし込む、

実践していかないと武道家ではないということを、

その大先輩の姿を見て学んだんです。

「武道家」としての生き方を実践していれば、

自分で「武道家です」などと名乗らなくても、

周りが、あの人何か違う?と思います。

そして、○○さん空手をやってるんだ!と知ったとき、

やっぱり違うわね~と自然と納得するわけです。

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先輩風をふかしたり、強さをひけらかす人って、

ぶっちゃけ嫌われるでしょ(笑)

たとえばね、お侍さんがいるとします。

その人が刀を鞘に納めず、刃をむき出しのまま歩いていたら、

怖がられるだけですよね。

狂人だと思われますよね。

侍は刀を鞘に納めておくもの、強さをひけらかさないものです。

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ここでね、禅の話題になりますけども、

禅って、食事とか、掃除とか大事にしますよね。

修行の一環に組み込まれていますよね。

これらって日常ですよ。

生活の「基本」です。

そこに「特別」なことは一切ありません。

禅の精神、生き方、そういったものを

食事や掃除のといった日常に、

生活にいかに落とし込んでいくか、

それが大事なんだと思います。

そのためには日常の中で、生活の中で反復するしかありません。

ただ、惰性で反復しても、それには意味がありません。

しっかりと「意識」して反復する!

それが重要です。

その反復の結果、しっかり身につき、

いつしか意識せず「自然」とできるようになれば、

そのたたずまい、歩く姿、生きる姿、人生が差取りであり、

覚者の人生なんだと僕は思います。

 

今日も長くなってしまいました。

最後までお読み頂きましてありがとうございます!

 

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