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こちらは脱スピ記事のまとめです。
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ゴールデンウィークですね!
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
僕はカレンダー通りのお休みですので今日から5連休です。
ここ最近、仕事が忙しく、その疲労がたまっているのか、
今朝起きても2時間ほど頭がぼーっとしていました(´Д`;)
ブラックコーヒーを2杯立て続けに飲んでもダメでした。
いまは大丈夫ですけどね。
こうしてブログを書けるほど回復しました♪
You Tubeでダウンタウンの浜ちゃんとTMレボリーションのトークを見たら、
爆笑して目が覚めました(笑)
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さてと今日の本題です♪
スピリチュアルの世界では、瞑想の大切さがよく説かれます。
差取るためには、瞑想は欠かせない!
という人もいますし、
自分を変えるため、現実を変えるために瞑想をしよう!
という人もいます。
僕は、何度もそれとは反対のことを言ってます。
瞑想や座禅自体を否定はしません。
やりたければやっていいと思います。
ただ、瞑想や座禅に差取りを求める、自分を変えるためにやる、
現実を変えるためにやるという動機は、
それをするにあたって「不純物」でしかありません。
なぜなら、その動機は、あるがままの自分、あるがままのいま、
あるがままのここを否定しているからです。
あるがままを否定する動機で瞑想をするくらいなら、
しないほうがはるかにいいです。
むしろやるな!!と言いたいです。
そのような動機で、瞑想をすればするほど、
あるがままの自分、あるがままの状態、あるがままのいまを
否定することになります。
あるがままの自分、あるがままの状態、
あるがままのいまと「差」が広がります。
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でもね、瞑想で、座禅でビジネスをしようと思ったら、
こんなこと言ったら商売にならないんですよ。
だから「期待させる」ようなことを言うんです。
瞑想をして差取る!
瞑想をして幸せ体質になる! 幸せを引き寄せる!
瞑想をして自分を変える!
瞑想の本質とはまったく逆のことを言わなければならないんです。
差取りとも逆のことをやらせるんですよ。
はっきり言いまして、非常に罪深いことをしていると思います。
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曹洞宗の宗祖・道元禅師は、「只管打坐」を説いたじゃないですか。
「無所得・無所悟」を説いたじゃないですか。
●只管打坐
悟りを求めたり想念を働かすことなく、ただひたすら座禅すること。
●無所得・無所悟
得ることを求めず、悟ることも求めない。
クリシュナムルティ、ラメッシ・バルセカールなども、
瞑想に何かを求める危険性を説いてますよ。
僕が知らないだけで、他にもそういったことを言っている人はいるでしょう。
参考記事:ラメッシ・バルセカールが語る瞑想の真髄
多くの先人が、瞑想に何かを求める危険を説いています。
繰り返しますが、瞑想に何かを求めるから、
「あるがまま」を否定することになるのです。
余計に苦しみが増すだけです。
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道元禅師は言ってますよ。
何も求めず、ただ座る。
その姿が「差取り(悟り)」だと。
もうとっくの昔に、シンプルに本質を突いた答えを
残してくれているじゃないですか!
それがスピリチュアルでビジネスをしている人たちに、
大きく歪められている現状は本当に残念でなりません。
彼らの言葉よりも、偉大な足跡を残した先人の言葉に、
耳を傾けてみませんか。
何も求めず、ただ座る。
そのときあなたは、あるがままの自分、あるがままの状態、
あるがままのいまを受け入れたことになるのです。
そのただ座る姿が「差取り」なのです。
瞑想をしなくてもいいです。
あるがままを受け入れたとき、
今日(いま)に、日常(ここ)に意識があるとき、
その姿、その状態が「差取り」なのです。