差取りの経験を求めるよりも、差取りの人生を生きましょう!


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こちらは脱スピ記事のまとめです。

脱スピ記事まとめ

某マントラ瞑想の問題点まとめ

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「差取りの経験」をしたら、それがゴールだと思っている方って、

けっこういるのではないでしょうか。

それが「差取り」に関する大きな誤解のひとつだと思います。

そうした誤解を与えてしまっている現状があるわけですけども。

意識が高揚する経験、エゴがこぞっと抜け落ちる経験、

他者との隔たりがない経験、

そうした経験をしたとしても、日常生活を営んでいると、

また元に戻ろうとするエゴの作用が働きます。

その「揺り戻し」はときに「前」以上に、

その人を苦しめたり、変容させ、差取りに「執着」させます。

それが禅でいう「魔境」です。

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生きている限り、僕らにはエゴがあります。

エゴは何かと悪く言われますが、

生きていくためには必要な「ツール(道具)」です。

その道具を使って生きているのですから、

差取りの経験をしたとしても、また曇ってくるんですよ。

物を食べたら歯が汚れる、生活していたら床が汚れる、

窓が曇る、骨格が歪みますよね。

でも、食べることをやめるわけにはいかないでしょ。

床や窓が汚れるからといって、家で暮らさないわけにはいかないでしょ。

骨格が歪むからといって、動かないわけにはいかないでしょ。

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経験をして、一時的にきれいに汚れや曇りが取れ、

歪みが治ったように思っても、

間違いなく少しずつ元に戻り、人によっては悪化します。

また、「それ」が失われていくような「喪失感」を味わいます。

喪失感が怖れになり、怖れを克服しようと、

知識を求めたり(理論武装)、さらなる体験を求め、

「いまここ」から心が離れます。

元に戻らない人もごくごく稀にいるかと思いますが、

そうなると一般社会で生活をするのは困難になるのではないかな?

と思います。

隠遁生活することになるのではと思います。

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経験をしてもしなくても、エゴによって曇ってくる心のお掃除、

心のメンテナンスが、日常の中で必要になってくるわけです。

そのメンテナンスとは、あるがままの自分、

あるがままの今日(いま)、あるがままの日常(ここ)を

受け入れる、生きることです。

僕は何度も言ってますよね。

差取りの経験をしなくてもいいんです。

むしろ経験を求める危険性、経験をした危険性に僕は警鐘を鳴らします。

「あるがまま」を生きたら、もうそれが差取りです。

あなたが差取り、あなたの人生が差取りです。

差取りを経験した人ではなく、

「いまここ」で差取りを生きている人になります。

それは特別な人、修業をした人にだけ出来ることではありません。

例外なく、誰にでも出来ることです!

だからね、求めずに自分を、いまを、ここを大切に生きてください。

「いまここ」を「あるがまま」を生きてください♪

 

あるがままで大丈夫♪
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