ただ座る、その姿が「あるがまま」であり差取りです


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こちらは脱スピ記事のまとめです。

脱スピ記事まとめ

某マントラ瞑想の問題点まとめ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

多くの人が、瞑想(坐禅)を誤解していると思います。

自分を変えるため、心を楽にするため、差取るために瞑想をする。

そんな風に思っているのではないでしょうか。

僕もそう思っていました。

でもね、そうじゃないんですよね。

何かを期待させる瞑想が花盛りの現状は、本当に残念でなりません。

前にも書きましたけど、大事なことなので、

瞑想についてまた書きますね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 瞑想(座禅)をするときは、差取りだの、リラックスをするだの、

浄化だの、自分を変えるだの、そんなものを求めず、ただ座る。

ただ目を閉じる。

瞑想にも自分にも、何も求めないからいいんです。

何も求めないから「あるがまま」なのです。

ただ座っている、その姿があるがまま(差取り)なんですよ。

そのときは、求めずとも、今日(いま)に、

日常(ここ)にくつろいでいます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

瞑想(座禅)に何かを求めたら、効果を期待したら、

「あるがまま」を否定することになります。

だから禅では座禅に何も求めるな!

と言っているのです。

これこそ瞑想を行う上での真髄だと思います。

ストレートにその真髄を教えてくれているのが禅です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

効果を期待させる瞑想法、瞑想セミナー、いろいろありますね。

効果を期待すればするだけ、

高い料金を払って何かを得ようと思えば思うだけ、

今日(いま)、日常(ここ)から遠ざかります。

あるがままの自分を否定することなります。

そうした瞑想をして悩みや苦しみが解決しないのは、

余計に苦しみが増すのは、

「あるがまま」を否定するからです。

わざわざ高いお金を出して苦しみを買っているだけです。

マゾにもほどがありますよ。

バカらしいと思いませんか。

その苦しみが増すことをカルマの解放だ、

カルマが浄化されているんだ、好転反応だ、

と言って上級コースを勧める瞑想もありますけどね。

( ;´Д`)

悩みや苦しみが解決しないよう瞑想をしているだけなのにね。

それに気がつかない限り、

いつまでも無知でおいしいお客さんで居続けることになります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何度も言っている言葉を今日も言いますね!

瞑想をするなら、何も求めず、ただ座りましょう。

「求めない」からいいんですよ。

ただ座るから「あるがまま」なのです。

「あるがまま」なのだから、そこに余計な力みはありません。

そのときあなたは「いまここ」にいます。

「いまここ」にくつろいでいます。

「いまここ」にいるあなた、

「いまここ」でくつろいでいるあなた、

あなたのその姿が、あなたがそのものが「差取り」です♪

 

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