オールドルーキー

環境の変化や人の感情に敏感なHSPです。そんな僕が鈍感な世界をしなやかに生きるヒントをブログで綴っています。

究極論は不要です!


f:id:c-sakuranbou:20150604005250j:plain

スピリチュアルの世界に一石を投じるため、

今日も応援クリックのほど、よろしくお願いいたいします。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

お初の方も記念に押して頂けると大変嬉しいです。

あなたのワンクリックが、

スピリチュアルの世界に嵐を巻き起こす1票となる!

かもしれません( ´ ▽ ` )ノ

頑張らなくても大丈夫 - MAKI

こちらは脱スピ記事のまとめです。

脱スピ記事まとめ

某マントラ瞑想の問題点まとめ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

仏教には「無記」というエピソードが伝えられています。

仏陀にはマールクンヤプッタという弟子がいました。

彼は仏陀に、

1.世界は永遠であるのか
2.世界は永遠でないのか
3.世界は有限であるのか
4.世界は無限であるのか
5.生命と身体は同一か
6.生命と身体は別個か
7.修行完成者(如来)は死後存在するのか
8.修行完成者(如来)は死後存在しないのか
9.修行完成者(如来)は死後存在しながらしかも存在しないのか
10.修行完成者(如来)は死後存在するのでもなく存在しないのでもないのか
※ウィキペディアより

と質問しました。

その質問に対し仏陀は答えず、

「それを知ってどうなる。

それらがどうであろうが、

人は生まれ、嘆き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩み、老い、そして死ぬ。

お前がいまやるべきことをやりなさい」

と説いたと言われています。

※上記のエピソードですが、かなり省略して書いております。
興味のある方は調べてみてください♪

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

マールンクンヤプッタが仏陀に聞いたことは、

いわば「究極論」です。

スピリチュアルの世界で人気がありますよね究極論。

大好きな人、多いですよね。

仏陀の時代にも究極論が好きな人がいたんですね。

いまで言えば、死後の世界、輪廻転生、ワンネス、

不二一元論(アドヴァイタヴァータ)などなど、

これらは日常とは乖離した究極論です。

仏陀は、こうした究極論に対し、2000年以上前に弟子に答えてるんですよ。

仏陀が2000年以上前に究極論の無意味さを教えてくれているのに、

人はいまだに同じようなことをしています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

仏陀が言うように、それを知ってどうなるのでしょう。

究極的には人は死なず、すべてはひとつで、

あなたも私も存在しない、それはそれでいいでしょう。

で?

だからなに?

それを知ったところで、何にもなりません。

そんな絵に描いた餅、腹の足しにはなりません。

結局は今日(いま)、日常(ここ)からの逃避でしかないんですよ。

究極論なんて追求しないほうがいいです。

むしろ追求するほど危険です。

どうせ生まれ変わるのだから今生はどうでもいい、

すべてはOKなのだから犯罪をおかしてもいい、

何をして金儲けしてもいい、

こんな人生嫌だから、次に行くため今生はもう終わらせよう、

といったように、いまここから逃避することで、

虚無的に、厭世的になる可能性があります。

というよりも、その可能性が非常に高いです。

また、あらゆる出来事に痛みを感じない無痛覚に、

喜び悲しみを感じない無感動な人になります。

虚無主義になり、無痛覚、無感動になった状態を

悟りだの、覚醒だのと言っている人もいるようですけど、

まったく違うと思いますけどね。

それは「怖れ」による逃避です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

机の上で、何の役にも立たない空理空論にふけって、

わかったようなこと言って、

インテリぶってもしょうがないじゃないですか。

もうさ、いいでしょ究極論なんて。

究極論は不要です!

「いまここ」を生きるのが一番ですよ。

今日(いま)日常(ここ)から逃げず、向き合いましょう。

今日(いま)日常(ここ)を生きましょう♪

今生を生き切り、喜びも悲しみも味わい尽くしましょう!

 

究極論を卒業しましょう♪
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ

関連記事