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こちらは脱スピ記事のまとめです。
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論理的思考による論理的な意見とは、
どういったものを言うのでしょう?
それは、ある物事に対して法則性があり、
また思考的妥当性や事実的結果があり、
それが積み重なって導き出された「結論」が、
論理的な意見だと僕は思っております。
僕はブログを書くにしろ、何か意見を述べるにしろ、
そうした前提を踏まえて書いたり、
言ったりすることを心がけています。
こんなことはあえて書くまでもなく「当たり前」です。
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一方、論理が「破綻」している意見というのは、
どういったものを言うのでしょう。
そうした意見の多く、
いやそのほとんどと言っていいのですが、
論理が破綻している意見というのは、
まず「結論ありき」で考えられています。
最初に「答え」があるんですよ。
その結論に至るように、論理を組み立てているので、
そこに妥当性、客観性が含まれていなかったり、
主観がかなり介在し事実が歪曲されています。
また思考的な飛躍が随所に見られるので、論理が破綻しているのです。
さらには論理の飛躍を埋めるのに、感情論が入ったりしています。
そうなると論点がずれ、もう議論にはなりません。
結論ありきで考える・・・それは強力な思考的フィルターであり、
バイアス(偏見)です。
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さて、ここでスピリチュアルの世界に話を持っていきます。
スピリチュアルの世界には、ある特定の人を強烈に支持する、
「信者」と呼ばれる人たちがいます。
たとえば僕がスピリチュアルの世界の有名人を批判したとします。
そして信者さんたちが「そうじゃない!」と反論してきたとします。
でも、彼ら、彼女らの意見を第三者が聞いて
「うん? なんだこれは?」
と違和感を感じると思います。
それはなぜか?
といったら、彼ら彼女らの意見が、
「論理的に破綻」しているからです。
「結論ありき」で考えているので、
そこに法則性、思考的妥当性がなく、
論理的に積み重なって導き出された「結論」ではないから違和感を覚えるのです。
ロジカルに考えることができない子どもと議論にはなりませんよね。
議論するだけ疲れるじゃないですか。
相手は、何がなんでも聞く耳を持たない駄々っ子なんだから、
話にはならないんですよ。
信者とは議論にならないのは、こうした理由からです。
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なぜ、結論ありきで考えるのでしょう。
自分は正しい!
という強烈なエゴからきている場合もあります。
また正常性バイアスが強かったり、
コンコルド症候群だったりします。
自分が信じたあの人はそうじゃない。
それだと自分がバカだったことになる!
投資したお金が無駄になる!
それを認めたくないんですよ。
自分と向き合うことが出来ないんですね。
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スピリチュアルの世界の有名人にもいますよね。
論理的に破綻をきたしている人が。
結論ありきで語るから、論理的矛盾、飛躍があり、
話の整合性が取れないことを平気言っている人が。
だから「非常に見苦しい」わけです。
とはいえ、まだ盛んに活動をされておりますが、
まっ、調子に乗っていられるのも今のうちです♪
化の皮が剥がれるのも時間の問題。
ていうか、好き勝手やりたい放題、散らかし放題で、
ケツ拭く気がないやつらの化けの皮、
剥いでやろうかな? ( ̄▽ ̄)