日本仏教の総本山とでも言うべき存在が天台宗の比叡山延暦寺です。
天台宗は、唐に留学した最澄が日本に持ち帰った仏教です。
次第に発展していったわけですが、
組織が大きくなるとともに、
延暦寺は権威となり権力を持ち腐敗し、
本来の教えから乖離していったと言われています。
出家した知的エリートのみが仏教を学び、
エリートのみが解脱できる。
または多くお布施をした貴族だの、
裕福な商人だのが輝かしい来世を約束される。
一般の民が置き去りにされた教え。
苦しむ民を救ってこその仏教なのではないか?
そんな疑問を持った僧侶たちによって、
腐敗した当時の天台宗(延暦寺)のアンチテーゼとして、
浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、時宗(一遍)、
臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)、日蓮宗(日蓮)、
などの鎌倉仏教が生まれました。
一部の特権階級のための仏教ではなく、
庶民のための仏教が鎌倉時代になって生まれたのです。
この庶民のための仏教が、いま日本に広まっている仏教です。
あっ、勘違いされると困るので言っておきますけど、
いまの延暦寺を批判したいのではなく、
歴史的事実を述べているまでです。
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西洋では・・・
教会の財源確保と寺院の建設のための資金調達として、
カトリック教会は、
「これを買えば犯した罪は軽減される」
という名目で「免罪符」を販売しました。
裕福な人たちが、この免罪符を購入したと言われています。
これに疑問を持ったのがマルティン・ルターです。
「神のみが罪を許すことができ、
善行によってのみ罪はつぐなえる」
と説き、カトリック教会を批判。
宗教改革が興り、プロテスタントが生まれました。
免罪符を買えば罪が軽減されるって・・・
どう考えてもおかしいじゃないですかね。
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洋の東西を問わず、どこも同じようなことをやっていますね。
宗教(家)がお金と権力に固執すると、必ずおかしくなる。
本質からずれてくる。
そして歴史は繰り返すと言いますか・・・
スケールは全然違いますが、
スピリチュアルの世界でも同じことをしていますよね。
日常とはあまりにかけ離れた教え。
高額な金を出してワークだの、
セッションだの、セミナーだの、
あれやこれやとやってはいるけど、
これまた日常とは何も関係ない。
日常に活用できない。
金、金、金の拝金主義。
拝んでいるのは神様ではなくお・か・ね。
金さえあればカルマが浄化できます、
幸せを引き寄せられます、来世は安定、悟れます。
ここでルターの言葉を少々拝借。
「人はスピリチュアルなワークやセッションや
セミナーによって罪がつぐなえるのではなく、
日常の善行によって、その罪はつぐなえる」
のではないでしょうか。
覚者やヒーラーにお金を払うことが「善行」じゃないですよ。
スピリチュアルなワークもセッションもセミナーも、
「善行」でも何でもない。
日常をしっかり生きる!
それこそが「善行」なのではないでしょうか。
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お金と時間に余裕がある方は、
セレブの娯楽として、
癒しの真似事、悟りの真似事をどうぞご自由にやられてください。
そうでない庶民の我々は、地に足をつけて生きていきましょう!
小難しい真理の理屈を必死に覚える必要はありません。
覚えたところで、うんちく自慢するだけなんだから。
毎日スピリチュアルなワークに励む必要もありません。
時間がもったいない。
社会人として、日常をしっかりと生きることのほうが、
はるかに大切だと思います。
スピリチュアルに、真理に逃避するのはやめましょう。
必要な学び、気づきは全て日常にあります。
日常をしっかりと生きましょう♪