お釈迦様と息子を亡くした母親の話


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お釈迦様の逸話をひとつご紹介します。

ある母親が幼い息子を亡くしました。

息子を亡くした悲しみで半狂乱となった母親は、

遺体を抱えたまま、お釈迦様のもとを訪ねました。

お釈迦様なら人を生き返らせる薬を持っていると思ったからです。

するとお釈迦様は、

母親にこれまで一人の死者も出したことのない家から、

白いケシの実をもらってくるように言いました。

母親は、その白いケシの実で、

お釈迦様が息子を生き返らせる薬を作るのだろうと思い、

町中の家を訪ね回りました。

ところが、必死に探しても、

一人の死者も出したことのない家など一軒もありません。

このとき母親は、死は不可避なもの、

愛する者を失う悲しみは自分だけでなく、

多くの人が経験しているもの、

そして誰もが死の悲しみを背負って生きていることに気がつきました。

こうして気がついたことで、

母親は息子を亡くした悲しみを受け入れて、

生きていくことを決意しました。

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お釈迦様が母親に与えたのは言わばヒント、きっかけです。

そして母親は自分の力で「気がつき」ました。

自分の力で気がついたからこそ、腑に落ちたのだと思います。

人を教え導くというのは、こうしたことを言うのでしょう。

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たとえばこれが、スピリチュアルの世界でよく言われるような、

「人は生まれてもいない、死んでもいない、

死は幻想、それは思考の中で作り出された物語です」と

お釈迦様が言ったとしたら、母親は納得するでしょうか?

受け入れるでしょうか?

???

となると思いますよ。

 

本当に真理を理解し、「人の気持ち」を理解していたら、

まずこんなことは言わないでしょう。

悲しんでいる母親に、これが真理だ!

と言って、究極論を教えて何の役に立つのでしょう。

 

でもね、日本のプロの自称覚者さんたち、

こうしたことを平気で言ってしまうんですよね。

そうしたことを言う自分に酔っているんです。

僕はこんな凄いこと知ってんだぞー!

と中学2年生のように自慢したいだけなんです。

また、その自慢話を真理だと思ってありがたがって聞き、

わかったつもりになっている人も大勢いますけどね。

どちらも異常。

そこに狂気すら感じます。

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お釈迦様のこの逸話は、日常の中に「気づき」があり、

日常の中で学べることを伝える話だと思います。

また、答えは全て自分の中にある、

そんなことを示唆する逸話だと思います。

必要な学びは全て日常にあります。

真理や非日常に逃げず、日常を生きましょう!

日常の中で学んでいきましょう!

 

スピリチュアルを卒業しましょう♪
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