ボクサーが考えて技を出しているようでは、
相手に攻撃は当たらないんです。
考えて避けているようでは、
相手の攻撃をもらってしまうんです。
投手が投げる球種を見極めようとしていたら、
打者は振り遅れるんです。
「考え」ていたら間に合わないんですよ。
では、ボクサーも打者もどうしているか。
「考えず」に「感じて」反応しているんです。
その反応というのは、予想と言ってもいいかもしれません。
ボクサーだったら、何度も何度もサンドバッグを打ったり、
防御の練習をして、体が自然と反応するまで身につけます。
何度も言いますが、考えていたら遅いですから。
考えずに、技が出るまで体に染み込ませます。
その練習の中で、筋肉の微妙な動きやフォームを見て、
こう来るだろうと予想(イメージ)できるようになるんですよ。
自然と思い浮かびます。
打者にしても、
いろんな球種に反応出来る(考えずに出来る)
ようになるため、
素振りをしたり、打撃練習をしたりと、
同じ動作を繰り返すわけです。
ボクサーも打者も試合(実践)で使えるようになるため、
徹底的に反復練習を繰り返しているんです。
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生きるにしてもそうでしょ。
反復練習が大切だと思います。
日常生活の中で、
何度も反復(学びを繰り返し)して
人間性を高めていかなければならないと思います。
そうやって、学んだことが自然と出るようにしていかないと。
その学びが身についている人が人生の達人なんですよ。
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スピリチュアルの住人の中には、
スピリチュアル本を読んで、講演会聞きに行って、
セミナー受けて、
「私は悟った〜! 宇宙の仕組みがわかったー」
なんて言っている人がいますが、
あんた何がわかったの?
で、そのわかったことをどう実生活に生かしてるの?
と思いますよ。
日常には生かさず、
わかったつもりになって、悟りとはこうで、
真理とはこうでと語り始め、
解説を始める人間が一番タチが悪い。
たんなるええかっこしいでしかない。
そうしたええかっこしいが多用する言葉で、
「分離」ってのがあるけど、
日常と最も分離しているのが彼らです。
彼らってのは、
ボクシングや野球の入門書を読んで、
ちょっとボクシング教室や野球教室に行っただけなのに、
ボクサーや野球選手を気取っている痛い人なんです。
なに人生を極めたつもりになっているんだろうね、
自称覚者の皆さんは。
痛すぎるんだよ。
学びってのは生きてる限り続くものでしょ。
わかったつもりで生きるのが一番危ないよ。
そんな危ない人ばかりがいる
スピリチュアルの世界なんかに関わらず、
日常生活に目を向けて生きた方がいいですよ。