真理系のスピリチュアルの人って、
やたらとラマナ・マハルシをありがたがるけど、
あの人って世捨て人でしょ。
何でもかんでも参考には出来ないよ。
ましてやそれを生きる指針になんて出来ないよ。
新宿にね、ちょっと頭のネジが緩んだ、
ホームレス(世捨て人)がいたのを見たことがあります。
髭はボーボー、髪はくちゃくちゃで、
肌は垢まみれです。
ちょっと見るからにやばそうでした。
でね、その人が朝の通勤時間のときに、
大声で叫んでいたんです。
「お前ら、会社に飼われて自由も何もない。
俺を見ろ! 俺は自由だ! 何にも縛られてない!」
ってね、何度も言っていたんですよ。
まあ確かに自由だし、
言ってることに「一理」はありますが、
「だったらお前は何なの?
その会社に飼われて日々働いている人間の
おこぼれをもらって生きているだけじゃねえか。
残飯漁ってるんだろ。
真面目に働く人間がいるから、社会が成り立ち、
お前だって餓死せず生きていけるんだろ」
って、思いながら聞いてました。
真理系の人間って、
世捨て人の「一理」だけに目を向け、
これぞ悟った人の言葉だ!
目覚めた人の言葉だ!
とありがたがってるだけじゃねえか!
と思うんですよね。
世を捨て、山の中にでも篭って暮らしたければ、
世捨て人をありがたがればいいよ。
世捨て人の言葉を金科玉条の言葉としてありがたがればいい。
僕は世を捨てた人の言葉より、
現実を生きている人の言葉の方が好きです。
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