MAKIの日記

瞑想中に見えるもの、聴こえるもの、そんなものは全て幻覚であり幻聴ですよ。

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瞑想中に神秘体験をした!

なんて話を聞くとね、

僕は

それって、あなたの幻覚、幻聴でしょ、

って言いたいんですよね。

そんな体験したって、

なーんにも偉くもないし、凄くもないし。


ていうか、それを話してしまうことで、

ああーこの人、舞い上がっちゃってるな、

勘違いしちゃってるなと思うんですよ。

 

瞑想中に見えるもの、聴こえるもの、そんなものは幻覚、幻聴ですよ

たとえばね、

瞑想中に龍が見えました!

幽体遺脱しました!

天使の声を聴きました!

なんて言う人がいたとします。

それは

「あなたが観たかったから、作り出したものですよ」

と言いたいんですよね。


もう、神秘体験したくてしたくてたまらなかった自分がいて、

それで瞑想をしたものだから、

「これしめた!」とばかりに、

エゴが作り出したそれが見えたし、聴こえたんですよ。

 

神秘体験をしたい!

という強い思いが作り出しただけ。

もっと自分を疑えよ!

見たもの、聴こえたものを疑えよ!

浮かれてんじゃねえよ!

と思いますけどね。

 

「私はいない」も幻覚です

また、真理を少しかじった人なら、

瞑想で「私はいない」ことがわかった!

とか、

「私はいない」を経験をした!

とも言いそうですが、

それも幻覚、勘違いですよ。

そういう経験をしたいという思いが作りだした勘違いです。

私がいなかったら、いないと思った私は誰なの?


勘違いではない!

私は龍を見たし、幽体離脱したし、

自分というものがいないことを経験した!

という人もいるかと思います。


で、それを証明できますか?

ってことです。

こちらも確認しようがありませんが。

証明しようがないものをアピールする

その心の状態が問題だと僕は言いたいんですよ。


こういうことを書くと、

経験をした人間に嫉妬してるんだろ!

という意見が出てきそうですが、

「はいはい、言ってろ」と思いますけども。

 

頭に蛆がわいている人間とは、

到底理解しあえないと思ってます。

話し合うだけ無駄です。

 

ただ座ればいい

瞑想中、何を見ようか、何を聞こうが、

鬼と会おうが、仏と会おうが、

そんなもの気にせず、ただ座ればいいんですよ。

ただただひたすら座る。

 

瞑想って、あらゆる執着を捨てて、

ただいまに在る状態、

心の平穏状態のことを言うと思うんですけどね。


神秘体験をしました、いえーい!

あれが見えました、これが見えました、いえーい!

と言って喜んでいては、エゴが肥大し、

瞑想する前より性格に問題が出てきていませんか?

へんなところに堕ちていってませんか?

と思うんですよね。

で、そうしたおばかさん問題児がスピリチュアルの世界には、

大勢いるわけです。


瞑想に過大な期待をしたら、

余計にへんになっちゃいますよ。

期待も欲でしょ。

瞑想の本質から外れていくと思いますよ。

 

高額料金の瞑想なんてやる必要はない!

この瞑想は、すっごい効果があるよー!

なんてことを売りにした高額料金の瞑想があるじゃないですか。

 

高いお金出して瞑想をすれば、

それだけ「期待」という欲が膨らみます。

そんなもんやればやるほど、

「くれくれ病」が悪化して心の餓えがおさまらなくなります。

餓鬼の道を突き進んでいくことになります。

 

瞑想を学びたければ、禅寺に行きましょう。

無料か、格安料金で学ぶことが出来ます。

 

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